JDSF 大阪 ブログ
投稿の詳細: テンちゃんの・・・米・露のダンス道見聞録・・・・
2005/01/15
テンちゃんの・・・米・露のダンス道見聞録・・・・
「古くて薄暗く、灰色の倉庫の中に、入っていくような心境を持っていた」次の瞬間彼は間髪いれずに「それは大きな間違いでした。ソ連の人達は怖いのかと思っていたら、どこへ行ってもどのような人にあっても、皆さん親切で心温かい人ばかり、外国人である私たちを快く迎いいれてくれました。今後は固定概念や偏見を持たず親しくしたいですね。又行きたいですヨ!」TV画面いっぱいに鼻の穴を大きく膨らませて、興奮気味に話す様子が映し出された。記者会見はサブちゃんこと北島三郎氏・・・今から十数年前の出来事であった。
21世紀の黒船来航(ロシアジュニア使節団)が!西日本ダンス界に新風を・・・・
2005年4月24日(日)五月山体育館において池田市長杯争奪「ダンススポーツ・グランプリin大阪」がJDSF西部ブロック主管で開催された。
このたびの同大会の話題は、ロシアからジュニアダンサー(14才)2組の参加である。特筆すべきはこれらは西部ブロック独自の企画であり、全会員が総力を挙げて招聘から滞在、接待そして帰国までを一貫して執り行った事である。
ジュニアのスタンダードとラテン部門にロシア・ジュニア勢が上位1位、2位を独占!さらにオープンスタンダード部門は決勝まで駒を進めて3位と6位の結果を収めた。
2組のジュニア一行の団長・カザコフ・バシリー氏(極東ロシア・スポーツダンス連盟会長)は、予想もしないオープン・スタンダード部門の成績に目を丸くし大喜びであった。
私は、このような光景を、長年夢見ていたがなかなか実現できなかったのが本音であった。今までの固定概念の打破は、ここ2~3年、ダンススポーツ教程本の初心者指導法「ダンスうんどう」を読み、執筆者である長年の友人・小林氏と再会し旧交を暖めてから弾みがついた。
世界をリードする・・ジュニアダンス競技の実態は・・!?
私は、2005年1月4日にアメリカから帰国し、休む暇もなくその3日後ロシアに、ジュニア・ダンス競技と育成事情の見聞に小林英夫先生、ジュニアカップルの久保田(旧姓・八幡)兄妹組とともに新潟空港を飛び立ち一路、ロシアへ向かった。
自由な国、アメリカとの違いは出入国である・・日本と友好関係がないためにビザが必要であった。カザコフ会長が15時間かけて何度もシベリア鉄道に乗り、ハバロフスク日本領事館に足を運んでビザをようやく取得した。本当にこのときは「近くて遠い国」を実感したのは言うまでもなく、大変な労力と時間を要し、なかなかそう簡単にロシアには行けないことが判った。私のロシア訪問に関してビザ取得から競技会観戦までの段取りをしていただいたのが小林先生と旭川の渡辺氏であった。
1月7日、ハバロフスクからシベリア鉄道で約15時間、車内は快適!暖かい。蒸気機関車ではあるが、動き出しは非常にスムースで揺れもなく、4人はすぐに爆睡。夜に乗って朝に到着し、着いた所は「ブラゴヴェシエンスク市」。アムール川を挟んで中国との国境、人口35万人の町だった。

気温はマイナス30度。想像のできない寒さの初体験になるので、わが家にある防寒着を全部着込んでいると、小林先生すかさず「シベリア抑留者と間違われるよ?!」「ええ~?」さらに「お・は・よ・ー!」が凍る寒さを体験。「さぶー!!低い鼻やのに鼻の穴もひっつく、鼻の穴が大きいから吸った息は温まらずに肺に入るから冷たさで胸が痛く呼吸困難になる。まるで高山病や!」私の独り言である。
着いたこの日、8日午後から夜までと、9日朝から夜まで2日間、競技会が行われた。この町に初めて日本人が競技会に参加したことで熱烈な歓迎を受けた。会場は古くても立派な建物で、さすが寒い所のため、入口ドアや窓はすべて二重で保温が行き届いていて会場内は適温に保たれていた。
さて、競技構成は年齢別戦で5歳~6歳、7歳~9歳、10歳~11歳、12歳~13歳、14歳~15歳、16歳~18歳、16歳以上オープンクラス、さらにセニオールクラス、ホビークラス の8セクション。5~6歳級の可愛いチビッコ選手達の種目はワルツ、クィックステップ、サンバ、ジャイブの四種目ダンス。7~9歳級はヴェニ-ズワルツとチャチャチャが入り6種目ダンス。さらに10~11歳級はスタンダード4種目、ラテン4種目の8種目ダンスの総合競技。13歳以上のすべての選手(子ども達)がテンダンサーである。13歳級に出場した八幡兄妹はラテンで5種目総合5位というすばらしい成績を残した。
ダンス技術は13歳以上であれば日本のA級に匹敵するほどレベルが高い。出場者数は各年齢級それぞれ20組以上出場。この小さな町で子ども達、若年の層の厚さと技術の高さには大変驚いた。
その裏には、子ども達もさることながら育て上げている素晴らしいコーチも沢山居られる事と感じた。
9日夜は我々日本人4人の歓迎会をしていただいて、両国のダンス話に話題は尽きなかった。
10日、ブラゴヴェシエンスク市を表敬訪問、市の次長から市政についての話や歓迎のお言葉をいただき感動した。
11日、ダンスを授業に取り入れている小学校を訪問。競技会で会った子ども達と再会の握手、私と小林先生がにわか教師になり授業開始、黒板を使ってロシアと日本の小学校との相違点に花が咲き、小林英夫先生の話術(結構ロシア語が上手です)で小学校の先生と生徒の驚きと感動、そして笑いが教室を暖かく包み込んだ。 (「素敵な女性校長だったね?」・・・・・と、小林先生談)
この小学校は市で唯一、校舎屋上に、回転するプラネタリウムを備えた素晴らしい小学校であった。
8日よりも9日、9日よりも10日と、日に日に暖かく感じられるのは気のせいではなく、マイナス
30度から12日にはマイナス15度になっていたのでした。マイナス15度で「今日は暖かいネ!」と言う私達の会話。しかし、アムール川では1m以上の氷で覆われ、川を車が行き交う氷の厚さ。私達はたった3分間カメラを持っているだけで手の感覚が麻痺してしびれるのに、その氷を割ってプールのようにし、マイナス15度で寒中水泳をするロシア人には驚かされた。
今回、ロシアの子ども達のダンスを目の当たりにしてはっきり言えることは、日本のダンス界は我が団体JDSFが将来に向けて、子ども育成に力を注ぎこれからの日本が世界に肩を並べていけるような環境つくりが大事である・・・と、感じた。 今後の方向性を見つけたロシア同行であった。
最後に『グランプリin大阪』で踊った2組のジュニアも決して『ブラゴベシェンスク市』のトップではない。ロシアではごくフツーの平均カップルである。これ位のカップルはゴロゴロいるよ。
IDSFのトップ選手もロシア勢が沢山。ロシアの層の厚さが垣間見える・・・・・・!?。
大阪府ダンススポーツ連盟会長 天道貞一